『光る君へ』第7回では前回体調がすぐれなかった花山天皇の女御、藤原忯子が亡くなってしまいます。
忯子の名を叫ぶも、その死に目にすら会うことがかなわなかった花山天皇。
ナレーションで「この夜、花山天皇がただ一人心から愛した忯子が、おなかの子と共に世を去った。死はけがれと考えられていた時代、天皇はじめ、貴族が遺体に近づくことは許されなかった」と語られていました。
最愛の人とそのお腹の子を同時に亡くしてしまったことを思うと本当に無念でたまりません。
花山天皇はなぜ穢れ(けがれ)という理由で最後忯子に近づくことができなかったのか?
今回は平安貴族が恐れた穢れということを調べていきたいと思います。
平安時代における「穢れ」とは
穢れという考え方
平安時代の貴族における穢れという考え方は、現代の汚れ(けがれ)という考え方のそれとは少し違います。
現在でいう「服にシミがついて汚れ(よごれ)てしまった」ようなことではなく、忌まわしく思われる不浄な状態ということを穢れと言われていたようです。
特に血液を流すというような事態に関与することを言うようで、人や動物の死や肉食、出産などのことを指しています。
出産も穢れとは現代の人にはなかなか理解し難いですよね。
ではもし穢れてしまった人はどうなるのでしょう?
穢れてしまったら?
もし穢れてしまったら祭事にたずさわることや朝廷の出仕も禁止されていました。
そして穢れた者は、いったん人々から隔離されますが、一定の期間を隔離することにより清浄化し、また普通の日常に戻れるようになります。
その期間や状態、地域などによって異なっていたようです。
詳しくはこちらでも説明されていますので、ぜひチェックしてみください。
補足
ここでは少しドラマ『光る君へ』での穢れに対しての気になることがあったので言及して見たいと思います。
穢れてしまった藤原北家
第1話のドラマの中で藤原道兼はこともあろうにまひろの母をあやめてしまい、その返り血を浴びていました。
道兼はそのまま自邸に戻り、その様子を子供時代の道長の三郎も見てしまうシーンがありますが、あれは穢れという考え方においては藤原家にとっては大問題になってもおかしくないでしょう。
あれは三郎がまだ子供ということで理解ができなかったいう設定でしょうか。
そしてその後も息子が穢れてしまったことを知った父兼家は穢れ仕事を道兼にやらせ続けていきます。
穢れを恐れぬ人々
平安貴族には恐れられていた穢れ。
そのため宮中では血を見るような争い事は嫌われていましたし、穢れるような仕事を担当する人たちもいました。
そういった穢れという考えにあまり重きを置かない人たちが、武装し、貴族に反旗を広返して、やがて貴族から政治の権力まで奪ってしまう存在になってしまいます。
それが武士の誕生です。
まとめ
今回は平安時代に恐れられていた穢れという考え方について深掘りしてみました。
その考え方からもし穢れてしまうと色々と制限されてしまっていたようです。
とても繊細なテーマで難しいテーマでしたが、よりわかりやすく説明してみました。
もう少し詳しく知りたい方は上で紹介したミスター武士道さんの動画でより深掘りした内容で説明していますのでお時間ある方はチェックしてみてください。