大河ドラマ「光る君へ」第2回の放送で、成人した紫式部ことまひろが代筆の仕事に生きがいを感じているシーンが描かれていました。
さて、平安時代に代筆という仕事は実際にあったのでしょうか?
そしてそれはどのような仕事だったのでしょうか。
史実なども参考にして、平安時代にの代筆というものを見ていきたいと思います。
代筆という仕事
代筆という仕事は、読んで字のごとく、本人に代わって文章を書くことです。
だい‐ひつ【代筆】 本人に代わって手紙や書類を書くこと。また、それをする人。
コトバンク
現在の代筆という仕事はビジネス文書の作成や、ブログの記事の代行屋さんみたいな感じでしょうか。
平安時代の代筆は、その当時流行った和歌というものを理解する必要があります。
和歌とは
和歌は「やまとうた」とも言われ、漢詩対比される日本語詩を意味する言葉として作られました。
その始まりは奈良時代ごろだと言われていて、当時作られた和歌は「万葉集」にまとめられ、その後も「古今和歌集」など様々の歌集が作られてきました。
その後平安時代にはいると、和歌は貴族にとってのステータスになり、素晴らしい和歌を作ることができる人が魅力があるとされました。
それから和歌は形を変えることなくて受け継がれ、庶民にも広く親しまれるようになりました。
平安時代に貴族の間で流行った和歌や歌合
平安時代、貴族社会では和歌が流行し、貴族たちは自らの感情や思いを美しい歌を詠むことが重要視されました。
貴族たちの間では、その詠んだ歌の優劣を争う遊び、歌合(うたあわせ)が盛んに行われるようになります。
そこで文学の才能に恵まれなかった貴族のために、代筆者が重要な存在となりました。
代筆者は、和歌の技量に優れ、主君の心情や願望を的確に表現する能力を持っていました。
平安時代の漢字と仮名文字の使い分け
平安時代の貴族社会では、男性は漢字やの漢文の教養に力を入れ、公的文書や歌などに活用しました。
一方で、女性は仮名文字を主に使い、ひらがななどを使い自らの感情や日常生活を表現しました。
そのため男性貴族が女性に和歌を詠む時にはひらがなを使っていたといわれています。
史実に登場する代筆
平安時代に代筆が登場する物語が実在します。
平安初期に成立した「伊勢物語」は「昔男ありけり」で始まる男を主人公とした歌物語があります。
その伊勢物語の第107段には在原業平が歌を代筆をする話が描かれています。
とある上級貴族に仕える女性のところに、藤原敏行という男性が和歌を送り求婚してきました。
その女性は若く、歌の才も未熟であったため、その女性の雇い主である上級貴族がその返事の和歌を代筆してあげました。
その和歌に感激した藤原敏行とその女性が付き合うことができるようになりました。
めでたしめでたし
このお話は男性のラブレターに、それを受け取った女性のために別の男性がラブレターを代筆するという、現代人から考えるとなんともいえないお話ですね。
まさにネカマの元祖とでも言いましょうか。
平安時代は成人になった男女は顔を合わすことができなかったので、上手な和歌が作れるかが恋愛をする上で重要だったといわれています。
そんなわけで、平安時代の恋愛はまずは文のやりとりが中心となりますので、ラブレターの代筆というは重要な仕事だったようです。
「男だったらなあ」と言われた紫式部
「光る君へ」第二話のように紫式部が代筆をつとめてたいう史実は残っていませんが、紫式部は幼少期から、漢字や漢文を読むことが得意だったと言われています。
紫式部のお父さんの藤原為時が、紫式部の弟に漢文を教えていた横で一緒に勉強していた紫式部は弟より覚えがよく、為時は紫式部の秀才ぶりをみて、「ああ、お前が男だったらなあ」と嘆いたそうです。
文章の才があり、文章が書くことが好きな紫式部はもしかしたら代筆をやっていても不思議ではありませんね。
まとめ
まだ今のように文字が全員書けるような時代ではない平安時代において代筆とは珍しくはなかったようです。
平安時代の生活に重要だった和歌を歌の才がない人の代わりに和歌を書いてくれる代筆の仕事は、平安時代ではとても重要で、和歌や文学の発展において重要な役割を果たしたようです。