平安時代といえば貴族の間では和歌などが流行り綺麗な服を見にまとい豪華絢爛な時代イメージしますよね。
平安時代は「平和の時代」と言われるけれども、それは本当なのでしょうか?
それではいくつかの側面からそれを検証していきたいと思います。
優雅な貴族と大変な庶民
「光る君へ」などのドラマや物語などで想像する平安時代は貴族の生活であり、そこに描かれているのは優雅な貴族の生活のお話。
しかし当時の日本を生きていた人のほとんどが農民。
権力者である貴族たちが政治を放棄し、軍隊も警察も「庶民なんかどうでもいいから」といって全廃してしまった、
その結果、都には盗賊が横行する無法地帯に。
地方では荘園制度の悪化などで自分の田畑は自分で武装して守らなければいけていけない状態に。
どこもかしこも無法者が横行し、弱いものはあっという間に殺されてしまうような国でした。
平安京の政治的混乱と腐敗
平安京では自分たちの権力のことしか考えない貴族たちにより、宮廷政治がどんどん腐敗していき、貴族たちの権力争いが絶え間なく行われました。
宮中の陰謀や派閥争いが政治に混乱を招き、結果として都市部の治安が悪化しました。
平安時代には検非違使という警察のようなものが設置され、司法制度が存在しましたが、その運用は不公正でした。
貴族社会において特定の派閥や勢力に有利な判断が下され、正義や公平さが求められるべき司法制度が機能不全に陥りました。
武士の誕生
これらの要因が次第に平安時代社会に不安定さをもたらし、貧しいものは盗賊に、裕福なものはその盗賊から身を守るために町の力持ちを用心棒に。
その結果、武装化した用心棒たちが現れます。
これが武士の始まりです。
平安時代中期以降、社会の不安定さと治安の悪化が続く中、武士と呼ばれる武闘の専門家が台頭しました。
荘園制度の崩壊や宮廷の政治混乱により、地方の豪族や武力を持った者たちが自己防衛や権力の確立のために武力を行使するようになりました。
平安時代後期の有名な戦いの源平合戦は、武士たちの台頭と武力闘争の頂点を示す出来事でした。
武士は組織し、軍事力を背景に政治的な権力を握り、平安時代末期から鎌倉時代への移行を象徴しました。
武士は社会の安定を確保する一方で、時にその力を乱用し、新たな支配層としての役割を果たしました。
平安時代のネガティブな側面が武士の勃興に繋がり、その影響は次の時代へと続き、武士が日本の中世社会において重要な役割を果たすこととなりました。
まとめ
平安時代はお世辞にも平安な世の中とはいえず、平和で安定どころか、日本の歴史上、とても危険で不安定で争いが多かったのが平安時代です。
結果、武士が生まれ、武士たちが平安時代という時代を終わらせ、新しい時代の鎌倉時代を築き上げていきました。
平安時代とは「平安京が都、日本の中心だった時代」を平安時代と呼ぶのであって、これは奈良時代、鎌倉時代と同じ、地名が時代の名前になっただけのことです。
都に「平安」と名前をつければ世の中が平和になるだろうと思って名前をつけたのでしょうが、そんなのでは簡単に世界平和は起こりませんね。