「光る君へ」の4話の散楽一座が忍者のような格好をしているようなシーンがありました。
2023年に放送された「どうする家康」では大河ドラマ初の忍者考証がついたり忍者が活躍されてました。
現代の忍者といえば戦国時代で活躍する忍者のイメージですよね。
そんな忍者は平安時代も存在していたのでしょうか。
それでは簡単な忍者の歴史も踏まえながらその存在について検証していきましょう。
忍者の起源
忍者の起源には諸説あり、飛鳥時代の皇族の聖徳太子が自身に仕えた「大伴細入」(おおとものほそひと)に「志能便」(しのび)という称号を与えたことが忍者のはじまりだとされています。
忍者の存在が史料上確実に確認できるのは、14世紀の南北朝時代以後のことで、その起源は13世紀後半の悪党にあると考えられています。
この悪党というのは、寺院や貴族などによる荘園制支配に反抗した人々のことで、山賊、放火、殺人などをするように当時の武将たちでも手を焼くほどの存在でした。
そしてその悪党たちを武士たちが傭兵として雇うようになり、夜に敵の城に忍びこませ、城門を壊したり、敵を暗殺したりするようになります。
時代別忍者の呼び方
今は「忍者」の呼び方で統一されていますが、昔は忍者と呼ばれず、時代ごとに違った呼び方があったようです。
- 飛鳥時代—志能便(しのび)
- 奈良時代—伺見(うかみ)
- 戦国時代—間者(かんじゃ)・乱破(らっぱ)
- 江戸時代—隠密(おんみつ)
- 大正時代—忍術者・忍者(にんしゃ)
今の忍者という呼び名が定着したのは昭和30年代になってからのことで、結構最近のことのようです。
日本書紀に出てくる忍者
初めて忍者のような存在が登場する歴史上の資料に、飛鳥時代に成立した日本書紀があります。
日本書紀には当時の朝鮮半島の国である新羅の国の間諜(かんちょう)の者、すなわちスパイをとらえたので上野国(現在の群馬の方)に流罪にしたという記述があります。
平安時代には忍者のような者はいた?!
歴史上には飛鳥時代から呼び方を変えながら忍者のようなものは存在していたようですね。
平安時代、政治の不安定さや欲望うずまく貴族たちの中で、彼らの元で働く者たちが情報収集や非常手段に忍者のように訓練された可能性があります。
そしてそのようなものが、ライバルの貴族の家に忍びこむようなことはあったと考えられています。
平安時代ではそのようなものを「伺見」、または「窺見」とかいて「うかみ」と呼んでいたようです。
まとめ
平安時代には、現在の人たちが想像する戦国時代のような忍者は存在していたかは確認されていませんが、時代の不安定な情勢や政治的転換により、武士や情報収集のスキルを持つ者が秘密裏に活動していた可能性は十分にあると思います。
忍者は時代が変わるごとに、その役割と呼び方を少しずつ変え、平安時代には具体的な「忍者」という言葉の登場はないものの、それに近いものが存在し、それが現在の忍者という物に繋がっていったとのは間違いないでしょう。