『光る君へ』道長たちがやっていた打毬とは?その歴史とルールは?平安時代の他のスポーツも

打毬のサムネイル 大河ドラマ
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第7回『光る君へ』では倫子の愛猫の小麻呂と散楽師の直秀といったサブキャラがストーリーにからんでいき、重要な役割をしていました。

小麻呂も観戦していた直秀が道長と一緒に参加していた馬に乗りながらやっていたスポーツ、打毬とはいったいどういったものだったのでしょうか?

そして平安時代に貴族たちが遊んでいたスポーツは他にも何があるのでしょうか?

それでは今回はドラマでやられていた打毬を中心に平安時代のスポーツについて深掘りしていきたいと思います。

打毬って何?その歴史とルール

打毬の歴史

打毬(だきゅう)は日本の競技・遊戯。馬に騎った者らが2組に分かれ、打毬杖(だきゅうづえ。毬杖)をふるって庭にある毬を自分の組の毬門に早く入れることを競う。現在は、宮内庁と。の長者山新羅神社、山形県山形市の豊烈神社にのみ伝承され、長者山新羅神社と豊烈神社では騎馬ではない「徒打毬(かちだきゅう)」も行われる。

ウィキペディア
打毬のイラスト

打毬は、中央アジアの一角に発したものであろうといわれていて、その発祥は紀元前6世紀のペルシャだと言われています。

西に流れたものがヨーロッパに伝えられて「ポロ」となり、一方、東に流れたものが中国で打毬となり、やがて朝鮮半島を経て、8~9世紀頃日本に伝わってきたようです。

その後、奈良・平安時代には、宮廷での祝日などに行われる宮中の年中行事となり、鎌倉時代以降は衰退してきました。

江戸時代に至り、八代将軍吉宗が騎戦を練習する武技としてこれを推奨したため、新しい競技方法も編み出され、明治以降には現代式打毬に変化していきました。

打毬について簡単なルール

打毬は、赤と白の2組にわかれて行う団体競技で、各組4~10騎で行われます。

馬に乗りながら、地上に置かれた自組の色の毬(きゅう)を毬門(きゅうもん)と呼ばれるゴールに入れる競技です。

ゴールに投げ入れるまでには、毬杖(きゅうじょう)と呼ばれる棒で毬をすくったり、相手を妨害したりして争っていきます。

他にもある平安時代のスポーツ

打毬は宮中行事でしたが、もう少し手軽なスポーツもあり、平安貴族に楽しまれたスポーツもいくつか紹介したいと思います。

小弓(こゆみ)

小さな弓矢で的に当てる室内のスポーツで、的は小型の衣桁のようなものに後ろ布を垂らし、その前に錘をぶら下げた的をつり下げます。

さらに小型の子どもの遊技で「雀小弓」もありました。

蹴鞠(けまり)

皆さんもご存じの蹴鞠です。

現代のサッカーのリフィティング要素とバレーボールの要素を取り入れた蹴鞠には本来は勝敗がありません。

相手が蹴りやすいように心がけて、次々と鞠を渡すようにして、相手が蹴り損なうと、渡し方が悪いとされるてしまいます。

つまり競技ではなく、昼休みの屋上バレーボールのパス練習のようなものです。

ロバート秋山さん演じる藤原実資は蹴鞠の達人で、蹴鞠をやっているシーンも出てきましたね。

まとめ

今回は道長たちがドラマの中で見られた馬にのってやっていたスポーツ、打毬について、その歴史と簡単なルールを調べてみました。

そして打毬以外にも平安貴族がやっていた他のスポーツの小弓蹴鞠にも触れてみました。

和歌や漢文などの教養が高かった平安時代の貴族ですが、スポーツの才能も必要だったんですね。