『光る君へ』第11回では花山天皇が退位し、兼家の孫である一条天皇が即位します。
それにより兼家は一気に摂政に、兼家の息子たちは大出世をとげます。
それとは逆にまひろのお父さんの為時は官職をとかれ、今でいうリストラになってしまいます。
とても大変な時をすごす為時家ですが、そんな中、まひろには嬉しい出来事が。
まひろは「妻になってくれ」と道長からプロポーズをうけます。
人生大変な時に願ってもない、嬉しいお誘いですが、なんとまひろは北の方でないと嫌だと、妾(しょう)にはなりたくないと断ってしまいます。
それには道長も怒って帰ってしまいます。
何故まひろ北の方にはなれなかったのでしょうか?
そして北の方とは?妾(しょう)とはいったい何のことでしょうか?
今回はそれらについて深掘りしていきたいと思います。
北の方とは?妾(しょう)とは?
北の方とはずばり正妻のことです。
北の方(きたのかた)
公卿(くぎょう)など身分の高い人の正妻の敬称。
では何故正妻のことをわざわざ北の方と呼ばれるのでしょうか?
《寝殿造りで、多く北の対(たい)に住んだところから》公卿・大名など、身分の高い人の妻を敬っていう語。北の御方(おんかた)。北の台。
Weblio
平安時代の寝殿造りでは正室を北の対(きたのたい)に住まわせることが多かったからという説からきているとされています。
そして妾(しょう)とは正妻ではない妻のことを言います。
別の読み方では妾と書いてめかけと呼び、こちらの方が馴染みやすいかと思います。
平安時代ではめかけとは呼ばずにしょうと読んでいたようでドラマではこちらが採用されているようです。
なぜまひろは北の方にはなれないのか?
なぜまひろは北の方にはなれないのでしょうか?
道長もあんなにまひろが一番と言っているのにどうして正妻にしてあげないのでしょうか?
その理由は単純にまひろの家の身分が低く、道長とまひろの身分の差があるからです。
花山天皇の退位、出家による起こった寛和の変により、一条天皇が即位し、天皇の外戚となり、摂政の一家となった道長にとって、官位も解かれてしまい無冠のまひろの家の身分が違いすぎたのです。
『光る君へ』第10回ではまひろは道長に「偉くなって世を変えてほしい」とお願いした道長はまひろのような身分の低い正妻ではなく、身分の高い正妻を迎えて出世しなければいけません。
それでもまひろに一緒にいてほしい道長は妾(しょう)としてでもそばにいてくれないかと道長なりに考えての提案だったのではないでしょうか。
まとめ
まひろの家の身分は低く、道長とまひろの身分の差があるため、正妻の北の方ではなくて、妾(しょう)のめかけとしてそばにいてほしいと道長に提案されました。
「北の方」とは公卿(くぎょう)など身分の高い人の正妻の敬称で、平安時代の寝殿造りでは正室を北対(きたのたい)に住まわせることが多かったからという説が由来とされています。
今回は道長がまひろにプロポーズをした時のエピソードの「北の方」について深掘りしてみました。