『光る君へ』直秀って何者ですか?散楽隊の歴史から見る直秀

直秀のサムネイル 大河ドラマ
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今週の『光る君へ』でも大活躍した神出鬼没の直秀

回数が進むほどストーリーに良い感じに関わってくるお役立ちキャラの直秀。

いつも屋根の上から語りかける仕草が、少女漫画のキャラクターのようだとネットでは評判の直秀ですが、いったい何者なのでしょうか。

そして直秀が率いる散楽隊とはどんなものなのでしょう。

散楽隊の歴史から直秀という人物を深掘りしていきたいとおもます。

昼は散楽師、夜は盗賊の自由人

夜はその運動能力を生かして、盗賊行為を行い、貴族の家に盗みに入り、貴族の秘密にも精通している。

そのため普通は知りえない、貴族の秘密を演劇化していたり、昼には散楽隊の顔を持っていたりと謎多き人物です。

その自由の行動と豊富な情報で、後々まひろと道長に大きな影響を与えることなりそうです。

直秀は実在したの?

散楽隊で直秀はその才能と性格から、ストーリーの節目節目に絡んできそうですが、平安時代に実在した人物ではなくドラマオリジナルのキャラのようです。

ここで簡単に散楽という平安時代の芸能の歴史をおさらいしていきましょう。

より直秀という人物を知るいいきっかけになるでしょう。

散楽の歴史

笛を吹く貴族

起源は中国より西に位置する中央アジア、西域の諸芸能とされています。

何世紀にもわたって、中央アジア、西アジア、アレクサンドリアや古代ギリシャ、古代ローマなどの芸能が、シルクロード経由で徐々に中国に持ち込まれていきました。

日本へ奈良時代に、他の大陸文化と共に移入されたと言われています。

続日本紀』には、天平7年の735年に聖武天皇が、唐人による唐・新羅の音楽の演奏と矛を扱った軽業芸を見たという記述があって、これが、散楽についての最初の記録とされています。

天平年間のいずれかに、雅楽寮という宮廷の音楽・舞踊の教習をつかさどる国家機関に散楽戸がおかれ、朝廷によって保護される芸能となります。

しかしその庶民性の強さや下品さからか、桓武天皇の時代、延暦元年(782年)に散楽戸制度は廃止されてしまいます。

散楽戸の廃止で朝廷の保護を外れたことにより、散楽は寺社や街頭などで以前より自由に演じられ、庶民の目に触れるようになっていくのでした。

散楽師は平安中期以前は宮中に召抱えられていたのですが、今で言うとリストラのような形のようなものです。

そのため当初は朝廷に認められていた立場の高い直秀も、落ちぶれてしまい、貴族を毛嫌いしているのではないでしょうか?

散楽隊=盗賊?

忍者のイラスト

それでは貴族に不満を持つ散楽隊=盗賊のように思えますが、これは先に説明したような経緯から今回のドラマのために設定されたと思われます。

ただ当時の公家の日記などから宮殿や公家の邸宅に入った「盗賊」は居たことは解っているようです。

ドラマにおいてバク宙をしている座員もいましたが、正倉院に残る絵図でも、散楽隊がさまざまなアクロバットを行っている様子が描かれています。

そのためドラマのように忍者のようなことをしているという設定で描かれてるのではないでしょうか。

そしてその身体能力からか屋根の上から登場するあの場面が作られたのではないでしょうか。

お時間ある方は平安時代の忍者については下の記事を参照してみてください。

まとめ

散楽隊は中国から持ち込まれた芸能で、一時は雅楽寮という宮廷の国家機関に散楽戸がおかれ、朝廷によって保護されるまでになりました。

しかし時が経つにつれその庶民性の強さから、桓武天皇により散楽戸制度は廃止されてしまいます。

朝廷から今でいうリストラにあい、散楽は寺社や街頭などで以前より自由に演じられようになりました。

そんな背景もあるのか直秀は、当時の政治や社会の矛盾を批判しながら、昼は散楽隊として庶民を楽しませる一方、夜は貴族の家に盗みに入ったりする盗賊で、盗んだものを庶民に分け与える、庶民の味方を演じています

そしてまひろや道長にも多大な影響を与える直秀の行動に注目ですね。