『ブギウギ』スズ子の育ての父、花田梅吉のモデル、亀井音吉の半生と笠置シヅ子の香川ふるさと公演

音吉のサムネイル 朝ドラ
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『ブギウギ』第23週ではアメリカ公演から帰ってくると、育ての親である「ウメキチキトク」の知らせが、そのためすぐに愛子を連れて故郷の香川へ。

そこには癌と闘病している、痩せ細った梅吉の姿が。

その数日後には梅吉は命を引き取ってしまいました。

スズ子の本当の親ではなかった花田梅吉ですが、最後は本当の親子のようなやりとりには涙なしでは見ることはできませんでした。

そんなスズ子の育ての父親である、花田梅吉のモデルである亀井音吉の半生と、笠置シヅ子との心温まるエピソードである香川で行ったふるさと公演について深掘りしていきたいと思います。

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スズ子の育ての父親、花田梅吉とは

柳葉敏郎さんが演じる花田梅吉は、香川生まれ。

映画と芝居が好きで情にもろく、お調子者でみんなに好かれる魅力的なキャラクターです。

養女にもらったスズ子の歌手になりたいという夢を応援してくれる大切な家族の一人です。

モデルは笠置シヅ子の養父亀井音吉

笠置シヅ子には父親が二人いて、実の父親である三谷陳平と、育ての父親である亀井音吉です。

花田梅吉のモデルになったのは養父の亀井音吉の方です。

大阪で商売を始める

大阪市でお米や酒屋などの小売業をやっていました。

音吉の妻である、うめの出産のため香川に帰省し、その後大阪に戻ってきた際に、実の子ともう一人赤ちゃんを連れて帰ってきましたが、快く我が子として迎え入れてくれること了解してくれます。

この幼女が花田スズ子のモデルになる笠置シヅ子です。

このエピソードからも音吉の人間性の豊かさが感じられます。

当時はまだ米屋を営んでいましたが、その頃に度々おこっていた米騒動や、大阪の人口増加により、風呂屋の需要の高まりにより、銭湯を開業しました。

これが『ブギウギ』のにも出てくる銭湯のモデルになります。

それですが、衛生管理の保健所の指導や、大阪市の人口増加による銭湯業の営業地域の決まりなどにもより、経営も難しくなり風呂屋も廃業することに。

その後は散髪屋を初めますが、妻のうめの病死や、当時の太平洋戦争で息子の戦死などもあり、散髪屋を廃業することに。

東京でシヅ子と暮らすことに

明るく人間味に溢れる音吉でしたが、大切な二人の死は相当なものだったでしょう。

それを心配したシヅ子は、音吉を東京に呼び一緒に暮らすことになりますが、また音吉たちに不運が続きます。

東京大空襲で二人が一緒に暮らしていた家は被災してしまいます。

シヅ子は当時付き合っていた吉本穎助と知人の家で暮らすことになり、音吉はついにふるさとの香川県引田町に戻ることになります。

一世一代の親孝行のふるさと公演

戦争も終わり、シヅ子は芸能活動を再開し、「東京ブギウギ」を大ヒットさせます。

音吉はそんなシヅ子を自慢の娘と香川から応援し、やがてそれは香川の自慢の娘になり、地元の仲間たちと一緒に「笠置シヅ子を香川の引田に呼ぼう」ということに。

そのころはすでに人気スターであった笠置シヅ子は多忙な毎日を送っていましたが、1949年に笠置シヅ子のふるさと公演は実現することになります。

公演場所は、朝日座という劇場でピアノは現地の小学校が貸してくれることに。

朝日座のそれまでの1日の最高入場者700人でしたが、笠置シヅ子のふるさと公演では2500人も来場するほどの大盛況だったようです。

公演の売り上げはすべて故郷に寄付されたそうです。

後日この公演は「故郷に帰った笠置」という見出しで東京新聞などでも報じられました。

なんとういう素敵な親孝行、故郷孝行だったことでしょう。

まとめ

今回は『ブギウギ』第23週で亡くなってしまった、スズ子の育ての親である花田梅吉のモデル、亀井音吉の半生を深掘りしてみました。

大切な人たちの死を乗り越えてのふるさと公演は音吉、そしてその周りにいた人たちにとって最高の思い出となったことでしょう。

またもう一つの笠置シヅ子の親孝行エピソードとして、シヅ子は音吉、うめ、八郎のお墓を香川県引田に作っています。

血はつながってはいなかったけれど本当の家族としてつながっていたのでしょうね。