連続テレビ小説の『ブギウギ』の第20週では「東京ブギウギ」が大ヒットし、世間から一躍有名歌手となったスズ子と、有楽町界隈のパンパンガールたち仕切るおミネの交流が描かれていました。
最初はおミネたちから認められず、嫌われていたスズ子ですが、スズ子の熱い気持ちに心を開いたパンパンガールたちがスズ子とともに靴磨きの達彦を助けるというシーンが印象的でした。
それではスズ子のモデルとなった笠置シヅ子と当時のパンパンガールとの実際の関係はどんな感じだったのか深掘りしてみたいと思います。
パンパンガールとは
「パンパンガール」とは、戦後混乱期に街頭で待機したり街路を歩き回ったりしながら、主として在日米軍を相手に売春を行った女性たちのことで大きな社会問題となっていました。
当時は戦争で家族や財産を失って困窮し、戦争未亡人は生きるために売春に従事することを余儀なくされた女性が多かったとされています。
パンパンの由来は諸説ありますが、米兵が女性を呼ぶときに手をパンパンと叩いたことからなどと言われています。
パンパンガールと笠置シヅ子との関係
シヅ子が活動の場にしていた日劇がある有楽町にも多くのパンパンガールたちがいたとされています。
未亡人となった笠置シヅ子が乳飲み子を抱えて懸命に歌い踊る“ブギの女王”姿に、パンパンガールも同性として心打たれていきました。
シングルマザーで育児に芸能活動に奮闘したブギの女王、笠置シヅ子の歌に激動の時代を生き抜くパンパンガールは熱狂したのです。
笠置もまた彼女たちの生きる姿が他人事とは思えず、彼女たちに寄り添っていくのでした。
「私が未亡人で子どもを抱えながら歌っていることに共感するものがあるのでしょう。それに自分のように声を出し切って歌うことに、あの人たちは自分に代わって叫んでくれているのだと思うのではないでしょうか」
『婦人公論』1966年8月号「ブギウギから20年」
1950年、笠置シヅ子のアメリカ公演が決まります。
そこで渡米前の歓送特別公演が日劇で行われたとき、パンパンガールは、日劇の1階の半分の席を買い占め、ひときわ大きく高価な花束をステージの笠置に贈りました。
笠置シヅ子はそれに感激し、彼女たち一人ひとりに「おおきに、おおきに」と応え、握手して回ります。
笠置シヅ子とパンパンガールとの友情を感じるエピソードですね。
まとめ
ドラマ『ブギウギ』のスズ子とおミネ率いるパンパンガールのモデルとなった、笠置シヅ子とパンパンガールとの関係を深掘りしてみました。
笠置シヅ子が言うように、自分の芸を理解してくれて喜んでくれることが笠置シヅ子の生きがいであり、またパンパンガールにとっても、笠置シヅ子の熱狂的なファンであり続けることが生きがいだったようです。
この時代だったからこそありえたスターとファンの実際の関係を、面白く描いているドラマ『ブギウギ』のこれからの展開にも注目ですね。