第110作となる2024年前期のNHK連続テレビ小説『虎に翼』
日本初の女性弁護士となった三淵嘉子(1914~84年)をモデルにしたリーガルエンターテイメント。
そんな三淵嘉子をモデルにした猪爪寅子を女優の伊藤沙莉さんが務めます。
日本史上初めて法曹の世界に飛び込んだ、一人の女性の実話に基づくオリジナルストーリー。
昭和初期、日本で唯一女性に法律を教える学校へ入学し、法曹の世界に進んだ主人公・猪爪寅子。
出会った仲間たちと切磋琢磨しながら、日本初の女性弁護士となり、後に裁判官となった、困難な時代に立ち向かい、道なき道を切り開く寅子の姿を描く。
法学者で名律大学女子部で教鞭をとり、寅子の恩師的存在の穂高重親。
今回は穂高重親について深掘りしていきたいと思います。
穂高重親のモデルとなった穂積重遠とはどんな人物だったのでしょうか?
そして穂積重遠と三淵嘉子との関係についても見ていきたいと思います。
法学者・穂高重親とは
穂高重親(ほだかしげちか)
高名な法学者。女子教育に熱心で明律大学女子部の立ち上げに尽力し、教べんをとる。おおらかで何事にも動じないが、ひょうひょうとしておちゃめな一面も持つ。「法の世界」における寅子にとっての「生涯の師」。
明律大学で教鞭をとる穂高重親は法律に興味がある寅子に明律大学女子部法科へ進学することを勧めます。
そんな穂高重親は、寅子の運命を変える恩師ですね。
そして共亜事件で寅子の父・直言が逮捕された時に、彼を弁護するのが穂高重親です。
穂高重親のモデルは渋沢栄一の子孫の穂積重遠
『虎に翼』での穂高重親のモデルになった実在した法学者の穂積重遠という人物と言われています。
穂積重遠(ほづみしげとお)
日本の法学者で、最高裁判所判事も歴任し「日本家族法の父」といわれる。
1883年4月11日 、法学者の穂積陳重の長男として東京に生まれる。母は渋沢栄一の娘・歌子。穂積重遠は渋沢栄一の初孫である。
東京帝国大学法科大学を卒業。1912年(大正元年)には民法改正・法理学研究のためドイツ、フランス、イギリス、アメリカに留学、民法と法理学を研究しました。帰国後は東京帝国大学教授になる。
弁護士法の改正で性別の条件をなくすなど、女性の権利向上のために尽力する。
父も法学者で、親子二代で近代日本の民放の作成に大きく貢献した人物です。
なんと祖父が日本に銀行を作り、近代の日本をリードしたあの渋沢栄一です。
そして共亜事件のモデルとなっている帝人事件では穂積重遠が弁護人を担当しています。
穂積重遠と三淵嘉子との関係
女子教育に熱心であった穂積重遠は、1929年に念願の明治大学女子部を創設することになります。
創設後は穂積重遠は教授としても授業を行なっていたようで、三淵嘉子も実際に穂積重遠の授業を受けていたのではないでしょうか。
そして1940年に明治大学女子部の卒業生である、三淵嘉子はじめ、久米愛、中田正子らが日本初の女性弁護士になります。
まさにドラマ『虎に翼』のように三淵嘉子たちの「生涯の師」であったのではないでしょうか。
穂高重親を演じる小林薫さん
『虎に翼』の穂高重親を演じるのは小林薫さんです。
小林薫(こばやしかおる)
生年月日:1951年9月4日
出身:京都府
趣味:パチンコ、競馬、ゴルフ
事務所:ニコフイルム
小林薫さんはNHKのドラマには数多く出演されていて、『虎に翼』では渋沢栄一の初孫をモデルにした穂高重親を演じ、大河ドラマ「青天を衝け」では渋沢栄一の父を演じました
まとめ
今回は『虎に翼』の穂高重親について深掘りしてみました。
- 穂高重親には穂積重遠という実在のモデルがいた
- 穂積重遠はドラマの穂高重親のように大学女子部の創設者である
- 寅子のモデルである三淵嘉子も穂積重遠の授業を受け、穂積重遠は三淵嘉子にとって生涯の師のような存在だったのではないか