今回はNHK朝ドラ『ブギウギ』からの疑問に深掘りです。
幼少時代に、スズ子に、歌の道を進めてくれた親友のタイ子。
そんなタイ子と大人になって、スズ子は再会を果たします。
スズ子は病気で寝たきりになっているタイ子の力になろうとしますが、それを突き返そうとします。
96話では、タイ子は「地べた這いつくばって何とか生きてんのに、夢をかなえたスズちゃんとウチとでは、天と地や」と涙ながらに打ち明けますが、スズ子は一人で龍彦を立派に育てたタイ子を褒め称え、病気を治すことを決心させます。
この名シーンは朝から視聴者の涙を誘いましたね。
その後タイ子は医者の診断受けることになり、栄養不足の脚気という病気であることがわかります。
そしてドラマの最後の方には元気にスズ子の舞台を見てるタイ子が。
それでは今回はこのタイ子にフォーカスしてみたいと思います。
はたして、タイ子にはモデルとなる実在の人物がいたのでしょうか?
そしてタイ子を苦しめていた脚気という病気とは。
タイ子とはどんな役柄?
タイ子は大阪・福島の芸者の娘で、女学校を卒業した後、母親と同じように芸者の道に進みます。
スズ子とは同じ小学校で出会い、転校してきたスズ子に最初に話しかけ、それ以来、一番の仲良しになります。
タイ子は、スズ子の歌や踊りに対する情熱を一番に理解し、応援してくれます。
タイ子は実在したモデルがいたの?
スズ子のモデルの笠置シヅ子さんの自伝などにはそのような人物は描かれてはいな異様です。
ただし、笠置シヅ子さんの小学生時代やOSK日本歌劇団に所属していた時にはタイ子のような親友が居たのかもしれません。
おそらくドラマのオリジナルキャラクターのようです。
タイ子を演じている藤間爽子さん
藤間爽子さんのプロフィール
藤間爽子(ふじまさわこ)
生年月日
1994年8月3日
出身地
東京都
日本舞踏家の家系に生まれ、藤真爽子さん自身も日本舞踊家・女優として舞台や映像を中心に幅広く活躍されていますね。
どうりで表現力の素晴らしい演技に引き込まれわけですね。
タイ子を苦しめた脚気とは
タイ子を苦しめた脚気という病気は今の日本ではもうみられない病気ですが、明治時代に流行し、それが日本の国家的問題となっていました。
脚気とはビタミンB1が欠乏して起きる病気のことです。ビタミンB1は炭水化物の代謝に関わる大切な栄養素であり、不足すると末梢神経障害や心不全が起きてしまい、全身の倦怠感、食欲不振、手足のしびれ・むくみなどの症状が出ます。これらの症状が脚気です。かつては明治時代や大正時代に大流行しました。
ドクターズ・ファイルより
日本での脚気の歴史を見ていくと「日本書紀」にすでに同じような症状の病の記述があります。
江戸時代には江戸で白米食が普及し一般の武士や町人にも脚気の流行が見られたらしく「江戸煩(えどわずらひ)」と呼ばれていました。
その後大阪、京都でも流行し「腫病(しゆびやう)」と呼ばれ、中国地方や九州にも広がっていき、以後は、全国の地方都市でも流行していたようです。
明治になると、1870年(明治3年)から脚気が流行し、脚気死亡者数は、1899年(明治32年)に9,043人、1909年(明治42年)には15,085人に上りました。
台湾や朝鮮から米が移入されて米の入手がしやすくなり米食が普及し、1921年(大正10年)〜1925年(大正14年)には1人あたりの米の消費量がピークとなり、1923年(大正12年)は、脚気死亡者数がピークとなり、約2万7,000人に達しました。
1952年(昭和27年)に栄養改善法が公布され、国策として国民の栄養改善が進められ、脚気死亡者数は、1950年代後半には1,000人を下回り、1965年(昭和40年)には100人を下回り、1970年(昭和45年)には20人となり、脚気は消滅状態となりました。
ドラマの設定の時代の1940年代は脚気死亡者数のピークは過ぎたものの、栄養改善法が適用される前のため、タイ子のように脚気で苦しんだ人はまだまだいたのではないでしょうか。
まとめ
今回はNHKの朝ドラマの『ブギウギ』に登場するタイ子には実在するモデルがいるのか、そのタイ子を苦しめた脚気という病気にフォーカスしてみました。
タイ子のモデルは実在せず、オリジナルキャラクターのようです。
そして脚気という病は不治の病ではありませんが、1940年代前後では日本で流行した大変な病ではあったようです。
戦中戦後という大変な世界を生き抜く様々な女性の姿を描く『ブギウギ』の第21週も楽しみですね。