2024年になり、新しい大河ドラマ「光る君へ」が始まりました。
「光る君へ」では平安時代に源氏物語を描いた紫式部の生涯が描かれるドラマです。
その紫式部の周りを取り巻く、藤原氏。
藤原氏が多すぎてなかなかついていくのに苦労してしまいますが、平安時代に絶世期を迎えた藤原氏ってそもそも何者なのでしょうか?
今回はそんな疑問にわかりやすく、とりあえずこの藤原氏の歴史について覚えておこうということで藤原氏ビギナーにもわかりやすくまとめてみました。
藤原氏って?
藤原氏は、日本の歴史において飛鳥時代から平安時代にかけて栄えた名家で、公家の中で最も権勢を誇った一族の一つです。
平安時代に入ると、藤原氏は天皇を補佐をする役割の摂関家として朝廷において大きな影響力を持ち、政治や文化、社会において重要な役割を果たしました。
藤原鎌足(藤原初期)
藤原鎌足 (飛鳥時代)
藤原鎌足は、7世紀初頭に活躍した藤原氏の始祖で元は中臣鎌足という名前でした。
後の天智天皇の中大兄皇子と共に蘇我氏を倒します。
これが有名な大化の改新の始まりです。
そして臨終の際には藤原の姓をもらいます。
藤原不比等(藤原発展期)
藤原不比等 (奈良時代)
藤原不比等は、鎌足の次男です。
今でいう法律のようなものの大宝律令や日本書紀の編纂に関わりました。
娘を文武天皇に嫁がせ、のちの聖武天皇を産ませます。
自分の親族を天皇に嫁がせ、藤原氏の地位を盤石なものとしていきました。
藤原道長(藤原全盛期)
藤原道長 (平安時代)
3人の娘を次々に天皇の妃にし、摂政、太政大臣を歴任。
まさに藤原の全盛期として栄華を極め平安時代の最高権力者となりました。
それを表した歌として「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることのなしと思へば」という和歌を詠んだことで有名です。
まとめ
簡単にですが、藤原氏の時代を3つに分けてその時代の重要な人物をまとめてみました。
藤原氏は日本の歴史において、その始まりは飛鳥時代にまで遡ります。
摂関家として天皇との繋がりを持ち、平安時代には藤原氏の絶世期を迎えます。
これらの藤原氏の歴史は、日本の歴史において政治的・文化的な発展に大きな影響を与え続けました。