『光る君へ』第8回招かれざる者では道兼がまひろの父、為時に腕の傷を見られてしまいます。
道兼は「父に、やられた」と告白。「昨夜も一時正気づいて、その時に。小さい時からかわいがられた覚えはない。いつも殴られたり、蹴られたりしておった。兄も弟も、かわいがられておったのに。病に倒れ、生死の境を彷徨いつつ、私を嫌っておる」
光る君へ 第8回より
これには為時も兼家に「おつらいこと」と同情します。
道兼の父の兼家からの暴力に涙の告白をするシーンは視聴者からは「道兼に同情したくなる展開が来るとは思わなかった」や「回を追うごとに同情されるキャラ」などの道兼を同情する声と「何か裏がある」、「自作自演では」との道兼への疑念の声が交差します。
これについて視聴者の声を元に史実の道兼やあるエピソードを交えて考察していきたいと思います。
史実の道兼は?
道兼は同時代に成立した歴史物語「栄花物語」で、すでに悪者として描かれてあります。
「栄花物語」では、道兼を「御顔色悪しう、毛深く、ことのほかに醜く(顔色が黒く、髭が濃く、実に不器量)」と描かれています。
性格は「たいそう巧みで勇ましく、恐ろしいほど厄介で意地悪」。悪賢く大胆、冷酷で非情だったといわれています。
顔立ちもよく、優雅な長男・道隆に対し、奥の手を使ってでも兄を見返してやりたい次男・道兼というキャラクターは「栄花物語」以来のもので、『光る君へ』でも道長のクリーンさを際立たせるために、「栄花物語」の道兼像を引き継いでいます。
ダメ息子を愛したよき父だった?
道兼には福足君(ふくたりぎみ)という息子がいて、祖父の兼家の60歳を祝う場で舞を披露する予定でしたが、当日に「踊りたくない」と言い、舞の衣装を破りさいてしまいます。
道兼も手に負えませんでしたが、道隆が一緒に舞を踊り、その場は治りました。
そんな福足君は幼くして亡くなってしまいますが、生前、道兼の邸宅の庭に菖蒲を植えていました。
その翌年にその目が出ていることに道兼は気付き和歌を読んでいます。
偲べとや あやめも知らぬ 心にも 長からぬ世の うきに植ゑけん
「これを見て思い出してくれ」というのか。何もわからぬ幼子なりに短い命を恨めしく思って、この菖蒲を植えていったのだろうか。
(『拾遺和歌集』「哀傷」1281 番)
この歌からはわがままでダメな息子でしたが、幼くなった我が子を思う気持ちが伝わってきます。
苦肉の策のオマージュ?
皆さんは苦肉の策という言葉の意味を知っていますか?
敵をあざむくために、自分の肉体を痛めつけて行うはかりごと。転じて、苦しまぎれに考え出した方策。
コトバンクより
これは三国志演義に登場する計略の一つです。
呉の黄蓋(こうがい)と周瑜(しゅうゆ)が魏の曹操(そうそう)の艦隊を焼き討ちにする際に用いた作戦です。
呉軍を圧倒する魏軍の艦隊に対し有効な策を打てないでいる周瑜を黄蓋が批判し、それ
を咎めた周瑜は兵士たちの面前で黄蓋を、鞭打ちの刑に処すのです。
この事実は魏軍の曹操に伝えられ、しばらくして、投降を申し出てきたボロボロの黄蓋を曹操は受け入れてしまいます。
しかし、黄蓋の投降は偽であり、黄蓋は魏軍の内側から火を放つことに成功し、魏軍は壊滅してしまいます。
道兼ももしかしたら苦肉の策と同じ作戦を使い、あえて自分を傷つけて為時や花山天皇の信頼を勝ち取り、政権を奪うためのきっかけを作ろうとしているのではないでしょうか。
実際の史実はこのような事実はありませんが、もしかしたらドラマではこちらの案を採用している可能性もあるかもしれません。
補足:道兼役の玉置玲央さんが語る光る君へ
公式Xにて道兼役の玉置玲央さんのインタビュー動画が投稿されていました。
こちらの動画で道兼を演じる上での意気込みなども少し言及されていますので参考にしてみてください。
まとめ
第7回までは悪役に徹していた道兼でしたが、第8回では父親からの虐待という同情を誘うようなシーンも出てきました。
それと同時に、視聴者にこれは何かの策があるのでは?自作自演では?などといった憶測も出てきました。
史実でも悪いイメージがつきまとう道兼ですが、どんなダメな子供でも子を想う父親としての一面もあります。
もしかしたら苦肉の策ということであの傷が自作自演などの行為だとすると少しゾッとしますね。
これからもヒール役として徹するのか、それとも意外なストーリーが待っているのかこれからの『光る君へ』にも期待ですね。